遠くて近いはお道のご縁
―教祖神よりの足跡―
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▲御神前に掲げられている
教祖宗忠神ご眞筆の
「御七ヵ条」
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大阪の地とお道(黒住教)とのご縁は、教祖神ご在世当時からその端を発し、伊勢参宮の途次、当時備前藩の大阪蔵屋敷定目付「三沢佐兵衛」さんの懇望を入れ、お立寄りになられてご講釈を遊ばされたご事蹟から伺って参りますと、130年に及ぶ長い歴史の土壌にはぐくまれたお道の開花であり、20年の若木の根はいとも深く、太いものであることを知らされるのであります。
弘化2年7月からは、教祖神ご名代として蜂谷俊造・櫻井喜間太両先生が来阪されてご布教になり、時尾克太郎先生のご布教の成果として堂島講席が立ち、更には「いそしくも 立ちいづるかな 日の本の 元の誠の 道を踏みつつ」という時尾先生の餞けの歌を体して、河崎安次郎先生の渾身の伝道が展開されるなど、浪花の名にふさわしいお道の華がつぎつぎに結実を見、明治の初期には布教部布教課大阪出張所が開設され、靱・堂島・堀江・順慶町・島ノ内・浪花・越後町・川口各小教会所及び本田・古川説教所の開講を見るに至りました。
明治9年、本教別派独立の願書を教部省へ提出しました当時の正式報告書によりますと、大阪府下の願人数(信徒)18,500名で全国中6位、神葬祭人員(教徒)1,307名で全国中4位をかぞえるまでの教勢になっておりました。
今日皆さまとともにお道のお蔭を受けております私たちは、大なり小なり130年間に培われ来たこれら地心のお道の根から、芽を切り枝葉をつけて繁茂する、倖せな日々のおめぐみを頂いていることになります。お道のご縁ぐらい、本当に遠いようで近いものはありませんね。
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20周年祝祭記念誌「なにわの道芝」(昭和51年9月発行)より |