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まることの生活信条

一、お日の出を拝もう
一、親を大切に、先祖を敬おう
一、明るいあたたかいことばを使おう
一、人に親切に、とりわけ弱い人にあたたかい手をさしのべよう
一、人のために祈ろう

黒住教教主 黒住宗晴

一、お日の出を拝もう


 黒住教は、ひとくちでいえば「日拝する宗教」です。
 教祖様は、文化十一年(一八一四年)御日拝によって、長い間の結核からたちあがられ、御日拝のとき、天地にみちわたる大いなる“活物(いきもの)”を自得されて黒住教が始まりました。
 この神道山が新しい霊地に決定されたのも、すばらしく荘厳なお日の出を拝むことができるからであります。
 神道山こそ御日拝の山と申せましょう。  
 あるお道づれはこう話しています。「神道山は、今日のひからびた心の人の多い世の中に、あたたかい情をよびおこす心の発電所です」と。
 毎朝の御日拝で「私は天地と一体であり、私の心の中にお日さまが輝いていらっしゃる!」の心が養われてまいります。これこそ、心身の健康の元であり、味わいある人生の基であります。
 御日拝によって、人は神の心をいただいた神の子である喜びと、誇りと、責任にめざめるでありましょう。
 「お日の出に一日が始まる生活」−ここに自分の小さなカラを破って、人間はもとより、あらゆる存在に対するあたたかい感謝の心がわいてまいります。


一、親を大切に、先祖を敬おう

 

 教祖様の人としての出発は、その親孝行に始まりました。
 ご両親に心配をかけないように、さらに喜んでいただくにはどうすればよいかが、ご幼少のときからすべてのもとになっていました。
 親を大切にする心が、その人の徳を生み、先祖を尊ぶ心が、その人の信用を築くのです。
 連綿とつらなる先祖からのレールをはずれては、私という列車は着実に前に進まないものです。
 先祖なくして親なく、親なくして私なしの、先祖、親との一体感を持つところに確実な日々が生れてまいります。それは先祖を通じ、親を通じてその大元である神との一体感につながる喜びがあるからです。
 この心は必ず次の世代の心にひきつがれていきます。
 「親をおもう心」を土台にした日々をおくってまいりましょう。


一、明るいあたたかいことばを使おう
 

 人の心は本来美しい純粋なものです。しかし、それだけに汚れやすいものです。
 心の現れであることばには、心のままが現れるとともに、乱れたことばは心を乱してしまいます。
 人に対して、お上手でないまごころのこもったことば、まごころあふれる行いができるようにつとめましょう。
 家庭で、職業で、社会で「はい」、「ありがとう」「すみません」の三つのことばが、素直にいえる心の豊かさと謙虚さを身につけましょう。
 子供の教育にあたっても、この三つの明るいことばが自然にでるように親みずからつとめてまいりましょう。
 明るい感謝のことばの一言、一度の笑顔がどんなに人の心を生かし、やわらげ、明るくしてくれるでしょう。
 「人は神の子拝みあい」を常にいただいていくところに、おのずから明るい、あたたかい言動がとれるようになっていくのです。


一、人に親切に、とりわけ弱い人にあたたかい手をさしのべよう

 教祖様は、あらゆる悩みをもった人たちにあたたかい手をさしのべられ、なかにはハンセン氏病に悩む人もわが家に住まわせられて、おみちびき、お救いになられました。
 前教主五代様は、終戦直後の乱れた時代に、親のない子供たちのために、児童福祉施設「天心寮」を開設なされ、つづいて社会福祉法人「旭川荘」の創立、そのとりはこびに、非常な力をつくされました。
 かつて黒住教青年連盟は、三重四重の障害に悩む子供たち重障心身障害児のための施設づくりに献身し、その結果旭川荘の中に重障児施設「旭川児童院」が創設されました。そして黒住教婦人会の方たちは、この旭川児童院に、過去毎週日曜日に、奉仕の足をはこんでくださっています。
 このように純粋な宗教心のあふれでるところの奉仕活動は、古くからつづけられてきました。この奉仕の場が、私たちの心を祓い、みがき、清めていく貴重な修行の場であったことを、私たちはあらためて知ったことでありました。
 あなたの周囲に、あなたの街に、こうした気の毒な人たちは大勢いらっしゃいます。
 お道づれが、志を同じくする人と手をとりあって、この人たちのために汗を流す。
 −この汗こそ、今日の世の中に欠けているのではないでしょうか。人間の、神の子としてのずばらしさは、ここに大きく光り輝いてくるでしょう。
 教祖様はそのご一生を人のためにつくされました。私たちお道づれはその御心をいただいて、「奉仕の汗を大切に」してまいりましょう。


一、人のために祈ろう

 病気の人をはじめ仕事の上でいきづまっている人、あるいは家庭的なふしあわせで悩んでいる人は、私たちの周囲にいくらでも見受けられます。
 特に病気にいたっては、現代病ということばで表現されるところの、心の病が身の病となっている人のなんと多いことでしょう。身内に、親族にそして隣近所に数えきれないほどとも申せましょう。
 私たちは有り難いことに、教祖様の御教えにより「心が生きれば形が生き」、「心に有り難く成就すれば、形に有り難く現れる」という“いのちの法則”を知っています。さらに、「みずからを任せきる神」をいただいています。
 教祖様のご縁につながる皆様方、どうぞこの病める人たちのためにお祈りして下さい。教会所に参り、さらにその方とつれだって参拝し、先生とともにお祈り下さい。あるいは、この大教殿にお参りされ、またご連絡下さい。私をはじめ大教殿に奉仕する教師たちとともに、心からのご祈念をおつとめしようではありませんか。
 そしてそのご祈念をもって、その人のところへあなた自身が足を運ばれ、その人の心が救われ、有り難くなるようまごころをささげてあげて下さい。
 あなたにとって、あるときは辛抱のいるときもあるかもしれません。大変な努力も必要でしょう。しかし、一人の病める人がそこに救われていくのです。
 「人のための祈りは自分の祈り」につながっています。ここにあなたご自身の修行の場があり、確かなしあわせが生み出されていくのです。
 どうぞ病める人のために祈り、まごころの汗をおしまぬお道びとに成長していって下さい。
 
 以上は、今日の教団の使命であると信じますし、私の心からの願いであります。