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■情味豊かな日々
宗忠様について記述しますとき、決して忘れることのできないのは、その豊かな情感です。ご両親を思い続けられるご幼少のころをはじめ、ご両親のご昇天にあたって、あまりの悲しみのために、肺病に倒れられるなど、その人情厚いご性質は一生を貫いたものでした。
血うみとよごれで、どろどろになったライ病の方を、涙しながらお宅へだき入れ、みずからそのからだをふいてやられ、ひたすらその男の無事を祈られたのも、「かわいそうでほっとけぬ」という深い情味から出たものでした。
非常に人情味豊かな方である一方、ご自分がご両親のご昇天のために病に倒れられたご経験などから、強く、「人情深くして人情に迷うな」と戒められていることも忘れてはなりません。
こういう宗忠様を教祖と仰ぐ黒住教のお道づれの中には、実に情味豊かな人が多いことは私たちの大きな誇りです。
自分の知人の病の全快を祈って、毎日大教殿や教会所に参って来て(日参するといいます)ひたすら祈る人。病院などで、入院している友人のために病室に入って迷惑をかけてはとの配慮からか、室外で静かに祈る人とか、血を分けた兄弟にもめずらしいほどの、いわゆる誠をささげる人の姿はとうといものです。
宗忠様68歳のとき、奥様のいく様がご昇天されました。宗忠様はそのとき御神前にお祈りをつづけられていたのですが、家人が、ただ今奥様はご昇天されましたと告げたとき、悲しみがどっと押しよせ、気絶してしまわれたのでした。
そのときの気持ちを歌にたくされて、「昨日の花きょうの夢とはききつれど今の嵐はうらめしきかな」と詠まれました。
常日ごろ、あれだけ、「有り難い」の心を元に、積極的、創造の人生をときつづけられた宗忠様にあって「うらめしき」ということばは、ここにしか見当たりません。いかに奥様のご昇天をお嘆きになられたかがわかりました。かつて、自分の今日あるのは妻のおかげだと公言されるほどのご夫婦であられ、宗忠様のかげとなり、ひたすらご奉仕なられるとともに、多くの門人、お道づれから慈母のように慕われておられたいく様でした。
だがしかし、上のお歌につづいて、
またおもい直して一首
「世の花は散らばや散れよ天つちにつきせぬ道の花を咲かせん」としたためられているところをあり難く思います。
この奥様のご昇天に関する逸事からも、宗忠様の「人となるの道すなわち神となるの道」がおわかりでしょう。幼時にあっては完全なともいえる子どもが、始めて完全な大人になれるのです。このように完全な人間にして同時に神としてあられる宗忠様でした。
ご幼少のころ、友だちにさそわれていかれた狩り見物で、うさぎやたぬきの小動物が追いかけられ、捕らえられ、あるいは殺されるのをみて、涙ながらに走り帰られたこともありました。
また、野道に咲く野原の花にほほずりされながら、そのけんめいに咲いている花の美しさをたたえられたことでした。
宗忠様にとって、真実とは、大生命力そのものであり、善なることは、大生命力にかなった姿であり、美しいことは、大生命力にみちみちた姿であるのです。それらの一言一言をみずからも、神の子として、大生命力の意のまにまに、美しく、善く、あるいはとうとくすなおにうけとめられる方でありました。
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