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■教祖としてたたれて

 どの宗教にしても教祖といわれる人は、それぞれ独特の人間的魅力に加えて、人を導き助ける徳の高い人が多いのはいうまでもありませんが、宗忠様は教祖としてたたれてからも、ますますご自分にきびしい修行の日々をおくられるとともに、実に多くの人たちを導き、助けられています。
 それは、数限りないことですが、中でも、開眼のおかげをうけた赤木忠春高弟、肺病のおかげをうけた星島良平高弟、死人からよみがえった中野屋庄兵衛さんのことなどは特に有名です。それらは、私たちの今まで身につけた知恵という物差しでは、とうてい計ることのできない、いわゆる奇跡的なできごとばかりです。このようなことが現れても、宗忠様のご心境はただ「小子手がらにはござなく、みな天照大御神様のおかげと存じ奉り候」とか「人々の誠のところより天地の誠のいきものを呼び出し候」など、微塵もご自分がしたとはいっておられないのです。
 だが、宗忠様ご自身の、弱者に対する思いやりは徹底したものがありました。
 岡山県北のある神社に参拝されての帰り道、馬方さんたちが立ち話をしている中に、「ブラクジ村の周造も、あわれな者よ、一人ぼっちで貧乏で、その上、膈の病(胃ガンのこと)ではのう・・・」との話しを耳にされた宗忠様は、直ちにそのブラクジ村なる部落をさがして、周造の家をたずねられました。あばら屋の土間にむしろをひいて寝ている周造に、神の道、人間の道を説かれ、けんめいに祈られる宗忠様ですが、周造はなんの反応も示しません。再度たずねて来ることを約束されて部落のはずれまで来られたとき、急に雨が激しく降り出しました。宗忠様は、ご自分のぬれるのも忘れて周造の家にたち帰られ、ぼろぼろになったわら屋根から、周造の顔の上に落ちて来るしずくを妨ごうとつとめておられました。その時でした。周造が男泣きに声をあげて泣き出したのです。宗忠様は泣きじゃくる周造を抱きかかえられて、再びお祈りされたのでした。周造が、元気になって宗忠様のお宅をたずねたのは数ヶ月ののちでした。
 このように、ご聖徳の中にも、教祖としての絶対の信念の日々だったのです。「この宗忠を師と慕ってくるものは見殺しにはせぬ!」の一言こそ、宗忠様の不動の信心の面ぼく躍如たるものがあることが伺えます。