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■天命直授(てんめいじきじゅ)

 宗忠様はご幼少のころから、実にご両親思いの親孝行な方でありました。そのご両親が、宗忠様33歳の時、突然相次いでご昇天になり、余りのお悲しみのために肺病で倒れていまわれました。(1812)当時のこととて、治療らしい治療も受けることができず、その上、宗忠様のお心にはなきご両親を思う気持ちがつのるばかりで、2年後の文化11年(1814)の正月すぎには、病気も末期的症状を示しだし、ご本人も静かに死を覚悟されていたのでした。
 1月19日のまだ夜もあけぬころ、宗忠様はふと、お日様に最後のお別れをしようという気になられました。それというのも、物心ついてからは、ご両親に手を引かれて毎朝、東の空に昇るお日様を拝まれていたからでした。
 厳寒のさなか、夜の明けぬうちから、東の空の拝める縁側に、やせ細った身体を支えながらすわっていらっしゃいました。その宗忠様の眼前に、お日様がそのまん丸い姿を現したとき、宗忠様は、お別れの気持ちは非常な後悔の気持ちとなり、ただ悔悟の涙を流されながら、おわびしておられたのです。
 その時の宗忠様にとって、太陽こそは天地の親神であるとともに、ご両親のお心そのものだったのです。
 親孝行、親孝行と思いながら、病に倒れ、身も心もズタズタになっているご自分を顧みられて、そこにご両親がご自分をながめておられる思いにかられ、とんでもない親不孝をしていたと、ご自分で気づかれて、慙愧の念にたえられなかったのです。親孝行をすべての元とされていた宗忠様は、せめて、心だけでも、今の状態から少しでも、ご両親に安心していただける姿になろうという、新たな決意が生れたのでした。朝日のように、丸く、明るい、いきいきとした心になろうという新たなちかいと、かくあろうとするご自分をお導きください、という必死の祈りの日拝になったのでした。
 しばらくののち、床につかれた宗忠様には今までとちがった事がらがあることに気づかれだしました。すなわちお子様が健康ですくすくと育っていることの喜びを、病のさ中にあって忘れていたことに気づかれました。さらに奥様が献身的に看病してくれていることに気づきますと、何ともいえぬ感謝の気持ちがわいてきます。いやそれどころか、もう死ぬといいながら、現在自分は生きている、いや生かされているという喜びが、今まで味わったことのない、わき上がる真清水のような感激で胸一ぱいに広がってきました。その心境は、ほのぼのとした熱い、そしてさわやかな思いでした。それはちょうど朝日を拝むときの心地と一つでした。
 このことがあってから、宗忠様は毎日日拝され、重病の身にあって、常に有り難いことに心を向けられ、喜びを生み出す病床生活を送られたのです。
 それは命をかけた大修行だったといえるでしょう。
 このときを境に少しずつ病気は快方に向かい、2ヵ月後の3月半ばには、完全に健康をとりもどされました。と同時に、その喜び、感謝、感激のお気持ちがいかほどであったかは想像に余りあるものがあります。
 その年、文化11年の冬至の朝です。この日は宗忠様35歳のお誕生日でもあり、昔から冬至は陰極まって陽に転ずといわれた新たな一年への始まりの時でもあります。この年、起死回生の体験をへられた宗忠様はことのほか厳粛な気持ちで朝日に向かわれました。
 このとき、昇る朝日が胸もとにとびこんだような大感激を味合われたのです。
 我が天地、大天地が我なり、大自然と自分が一つにとけこんだ、同魂同体の境地にたたれたのです。
 いわば、すべてを生かしはぐくむ天地の大生命力と一体の場にたたれたのです。
 このときが黒住教の立教の時であり、この時を「天命直授(てんめいじきじゅ)」と申します。まさに、人間は大天地と一体であって、永久に生きつづける生命体そのものであると自覚されたのです。宗忠様が、死というものはないのだ、人間は「生き通し」なのだといわれ、大天地という形が人間そのものなれば、「形諸とも生き通し」ととかれるゆえんはここにあります。