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■親孝行ひとすじ

 宗忠様は1780(安永9年)11月26日(旧暦の冬至の日)現在の岡山市上中野(大元 宗忠神社のあるところ)に誕生されました。宗忠様のご両親は宗繁様、つた様といわれ、家は、岡山藩の守護神社であった今村宮の代々神宮でした。
 宗忠様のご人格形成の過程にあって、このご両親がどれほど豊かなご人格でもって養育されたかはかりしれません。ご幼少のころのご逸話に有名な下駄とぞうりの話があります。これは簡単に申しますと、宗忠様が4歳くらいのとき、ある雨上がりの日に、外へ出ようとされた宗忠様にげたをはいていきなさいと、おとう様が言われ、勝手口でげたをはこうとするとおかあ様がぞうりをはきなさいといわれたので、これまた「はい」といわれて、げたとぞうりを片足づつはかれたというのです。
 このご逸話を私たちはどう伺ったらいいのでしょうか。
ある人はいいました。これは相当知恵がなくてはできないことだ。ある人は、このように主体性のない子どもではだめだ。両親がどういおうと、自分はげたならげたをはくという自主性がなくてはだめだ。またある人は、子どものときからこのように人のきげんをとるようでは末恐ろしい子になるとか。しかし果たしてそうでしょうか。
 この行為をとられた宗忠様の心の内には、知恵も、分別も何もないのです。ただ、子どもとして、ご両親のいわれることは絶対に正しいと、ご両親を信じきっている純粋な気持ちだけなのです。これこそ、最も子どもらしい子どもの態度ではありませんか。と同時に、私たちを宗忠様に、ご両親を神とおきかえて考えたとき、私たちが果たしてそれほど神を信じきっているかと、反省せざるをえないではありませんか。
 とにかく、宗忠様の人間としての出発はその親孝行にありました。常にご両親を中心にした日常であったわけです。
 ご両親が年よりふけていると村人の話すことばを小耳にはさむと、ご両親の長寿を祈って水をかぶってのお祈り。寺子屋(今の学校)に通って落ちついて勉強にはげまれる宗忠様が、終わりごろになるとそわそわされるので、不思議に思った先生がたずねたところ、自分の帰りを門のところで待ってくださっているおかあ様に心配をかけたくないので・・・と答えられたとか、とにかく、ご両親に心配をかけないように、さらに、喜んでいただくにはどうしたらいいかとつとめられる日々でした。
 
この思いが、成長され、いわゆる自我に目ざめられる年もすぎても貫かれ、
「20ばかりのころ、心に悪しきことと知りながら、身に行なう事のなきようにせば、神とならるべし、と思いつき給い、これより事毎にかえりみて心に悪しとおもう事を、たえて身に行ないたまわざりしとなり」(ご小伝より)という、生きながら神になるの志をたてられるのです。それは、自分がどういう人間になったらご両親がお喜びになるかを元として、「神の心を心とした人間になる」ことこそ、最善の親孝行と決断をくだされ、我が心にかえりみて、悪いと思うことは絶対に行わないという決心をされたのです。修行といえば、これほどきびしい修行もありますまい。それは、勇気と忍耐と、克己の心を人一倍要求される日々でした。こうした日々をおくられながら長じられて、おとう様のあとをつがれて今村宮の神官にもなられていた宗忠様に起こったことが、突然のご両親のご昇天だったのです。