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-黒住教大阪大教会所の誕生-

▲大阪大教会所ご遷座祭
(昭和29年10月24日午前2時)

 戦前(昭和18年)には大阪市内に順慶町中、島之内中、新町中、堂島、川口、築港、大道(旧上町)、四貫島と8ヶ所の教会所が在り、それぞれ熱心に布教活動が行われていて、各教会所毎に婦人会や青年会も結成され、また信徒宅を持ち廻りの天心講、御祓講などと信仰活動も活発に行われていました。そのほか毎年大阪教団として合同で、管長様(当時の教主職の呼称)をお迎えして教師大会(説教大会と呼ばれていました)・婦人大会を中心部の教会所にて交互に催され、在阪の教師信徒がこぞって参会し、和やかなうちに盛況を呈しておりました。また昭和14年以降終戦直前まで各教会所に青年隊支部が結成され、大阪支部連合会が組織されて統一的活動も行われ、当時の大阪の地に大道を掲揚することができました。
 ところが昭和20年の戦火によりまして、大道教会所を除く7つの教会所がすべて焼失し、主管者は不在となり、信徒も罹災あるいは疎開などで遠隔の地に移住するなど、一時は中断の形となりましたが、暫時信徒総代宅等を仮事務所として辛うじて祭事を再開する運びとなり、その後市域の復興するにつれて、一日も早く教会所の復興を図るべく、かつ、この機会に合同の大教会所をと、篤信の有志を中心として協議が進められてまいりました。
 昭和24年4月24日、大阪の天満宮御本殿において教主様(5代様)司祭のもとに大阪教団復興祈願祭を執り行い、その機会に同社務所において関係者が協議のうえ“黒住教大阪教団復興新生会”を結成し、教主様を総裁に仰ぎ、会長に中島教区長(当時兼任)、副会長に井上吉松・閑重之両氏が推され、旧在阪各教会所が合同して大阪教団を復興するという気運が愈々具体化して、その第一歩を踏み出すことになりました。

▲新築開講祝祭斎主5代様
(昭和29年10月24日)

 翌25年3月1日に大阪大教会所設立担当者として、本部より大森康生先生をお迎えし、3月12日阿倍野区昭和町4丁目に設立事務所を設け、各教会所の御神霊を合斎し、教師信徒も集って定期的に祭事を執り行う運びとなりました。
 その後、分散した信徒を逐次結集しつつ、幹部においては建設予定地の確保に鋭意努力して、幸い現在の逢阪1丁目に好適の土地を得、日曜日毎に信徒の汗の奉仕による地ならしが行われるなど、着々と準備が進められました。
 昭和27年10月3日まずこの地に教務所を建てて、ここを仮殿として御神霊をお遷しいたし、毎月の祭事や大祭を執り行うこととなり、大教会所設立の基盤が、次第に確立したのであります。
 一方、各教会所の戦災跡地の処分引継も、困難な点の多いなかに漸く前向きに進展し、また急速な市域の復興に伴って罹災避難先や疎開先から復帰される信徒も増え、婦人会や青年連盟も順次結成されて、一日も早くご教殿の建設が望まれる状態となって参りました。

▲5代様をお囲みしての記念写真(写真の一番右上が矢野画伯)

 ここにおいて、旧各教会所戦災跡地の処分によって得た基金を基礎資金とし、道連れ諸氏の真心による建築資金のご献納を頂き、また矢野橋村画伯が奉賛のため特に執筆された絵を頒布して得た資金も加え、さらに奈良県切幡教会所の皆さんから多大のご献木を賜るなど各方面のご協力によりまして、29年3月からご教殿の建築に着手し、同年7月7月に上棟式を行い、その秋に芽出度く落成を見たのであります。
 同10月24年午前2時を期して、浄闇の裡に新しいご神殿への遷座祭を厳粛に斎行、引続き正午より教主様ご親祭のもとに記念祝祭を挙行、名実ともに大阪大教会所が誕生いたしました。
 ここに到るまでの大森所長を始め世話役、お道づれの方々のご労苦はまことに言語に絶するものでありますが、教祖宗忠神のご教語にございます“難ありありがたし”のみ教えそのままに、お蔭を戴きました次第で、尊いご神慮によるものと、一同深く感激したことでございます。

 20周年祝祭記念誌「なにわの道芝」

                (昭和51年9月発行)
より